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本当に自由に弾けるように
なりたい人のための
ピアノレッスン

    

自然な奏法で、もっと美しく。




過去のレッスンで悩みを抱えた方や、

ブランクからの再出発を目指す方へ。 

 


Rediscover the piano

— for a lifetime of beauty and expression.


                

Minako Fukase 

体験レッスン、お問い合わせは
こちらまで

オンラインレッスンも開催中です

教室案内


奏法やテクニックで悩み続けてきた方へ

“もっとラクに、もっと素敵に” 弾ける自分へと変わるための、
演奏改革レッスンを行っています。

好きな曲が、今よりも自然に、思い通りに響いてくる。
そのための“具体的で、実践的なアプローチ”を、
一人ひとりの想いに寄り添ってお伝えしています。

🎹 ピアノが上達したい方なら、年齢やレベルは問いません。

趣味で楽しみたい方、ブランクからの再スタートを目指す方、
ピアノの先生の「指導者自身の演奏力アップ」や、
音大卒業後に「このままでいいのかな…」と感じている方も歓迎です。

🎹だからこそ、お伝えできることがあります

ジュリアード音楽院やワシントン大学で学び、
音色とテクニックを“自然な身体の使い方”から再構築しました。
20年以上のブランクを経て、60代で演奏活動に復帰した私自身の経験が、
「年齢に関係なく、無理のない自然な奏法」で音楽を再び楽しむための
指導に活かされています。

実際に、生徒さんからは
全ての演奏に通じる“アドバイス”のひと言が効果抜群で
その場で弾けるようになるので、練習が楽しくなった」
 “打鍵の仕方、運指、テンポ感、歌い方、その他諸々…
すべてが変わった”と手応えを感じた」
という声が寄せられています。

本番を控えた演奏会やコンクールに向けてのアドバイスレッスン、
連弾や伴奏レッスンなど、目的に合わせて柔軟に対応しています。

スタインウェイ・モデルMでのレッスン。
現在、全国どこからでも受講できるオンラインレッスンも開催中です。 

Concept / 大事にしていること

1 具体的、実践的なレッスン
   一人ひとりの課題を見極めて
   その場で即、出来るようになる
   具体的な方法を丁寧にお伝え
   します。

2  ピアノ演奏のための本当の脱力
   
ピアノのメカニズムを知り
  「演奏中に活かせる脱力」をする
   ことによって、美音を奏でながら
   ラクに指がまわるナチュラルな奏法
   を身につけます。

3  全ての曲に応用できるテクニック
   レッスンでは、その曲だけなく様々
   な曲に活かすためのテクニックや
   音楽の作り方をお伝えするので、
   自分で仕上げていく力がつきます。
   
4  「やってるつもり」を実践に変える
   個々のクセを知って改善し、
   良いところを引き出して「こんな風
   に弾きたい」を叶えるお手伝いを
   します。

5  感性を育む日常を豊かに
   出てくる音楽はその人そのもの。
   練習以外の日々の感動体験や創作活
   動も大切と考え、レッスン外でも
   色々な情報を生徒さんと楽しくシェ
   アしています。


レッスンメニュー

体験レッスン
体験レッスンを行なっております。
ご希望やお悩みなどを伺いながら、ポイントレッスンをいたします。



体験レッスン 4,000円  (お話+ミニレッスン) 
大人のレッスン
年齢やレベル関係なく、趣味でピアノを弾いている方、
お休みしていたけれど再開した方など、
一生懸命練習する前に、譜読みの仕方、さらい方から丁寧にお伝えします。

間違えずに正しいリズムで弾けることの先にあるピアノの
楽しみを目指して、弾きたい曲を素敵に仕上げるテクニックを育みます。

レッスンの頻度は自由ですが、月1度のペースで来られる方が多いです。
演奏会やコンクール前の単発アドバイスレッスンも。


入会金 5,000円

ワンレッスン制(60分)   10,000円
月2回継続レッスン   18,000円 (毎月60分×2回)

プライベートレッスン

音大目指して頑張っている方、留学を考えている方、音大卒業後さらにレベルアップしたい方、ピアノ講師の方々を対象に、レッスン内容や頻度などを個別にご相談承っております。

月1回のペースで来られる方が多いですが、演奏前など個々のご要望にお応えしています。

弾きたい曲などもあればご相談ください。


入会金 5,000円

ワンレッスン 60分 11,000円
       90分 15,000円  
        

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生徒さんの声

毎回眼から鱗のレッスンで、演奏がこんなにも上達するとは自分でも驚きです。
       K.N様 40代女性
音楽の専門課程を卒業しても、ピアノのテクニックを難しく感じ、表現したいことを思うようにできない事を常々悩みに感じておりました。
そんな折、美奈子先生のレッスンを受けさせて頂くようになり、身体の使い方、指使い、フレーズの感じ方、曲の構成等々…本当に丁寧にわかりやすく教えて頂き、毎回レッスンの度に目から鱗の落ちる思いでした。
高い視点から的確にアドバイス頂き、自分の演奏がこんなにも向上するとは、自分でも驚きです。

もし、ピアノを学ぶ初期の段階から河合先生にお教え頂いていたら、自分の音楽人生はもっと違ったものになったと思います。

これからピアノをお始めになる方にも、ある程度経験を積まれた方にも、河合先生のピアニズムが、音楽を愛する全ての方に広まる事を願っております。

            K.N様 40代女性
なんでうまく表現できないか、という疑問やモヤモヤが晴れる感じがたまりません!
      Y.M.様 60代女性 
ソロのレッスンを受け始めて一年…

音大を出て、早、うん十年…自分なりにピアノの勉強を続けて来たつもりですが、テクニックと表現がどうしても結びつかないイライラは、募るばかり…
どうしたら自分の頭の中にある理想の音を表現出来るのか、堂々巡りでこの歳になりました。
ほぼ諦め掛けていた時に。思いがけず美奈子先生との出会いがありました。
初めは、連弾のパートナーとレパートリーを広げるためにレッスンに通い初め、そのうちに、これは、私の求めていたもの!…と感じるようになりました。正に<ツボ>にハマった出会いでした。
まだまだ修行の真っ只中ではありますが、少なくとも、ピアノを弾くのがとても楽になりました。少しずつですが、なんで上手く表現出来ないか、という疑問やモヤモヤが晴れる感じ…が、堪りません!
それにこの歳で、修行…とか言えるのは、素敵!なんて、密かに自惚れる毎日です。
これからも楽しみながら、元気でレッスンに通い続け、課題満載のピアノ100歳人生を目指したいと思います。
       🥰🎶 Y.M.様 60代女性
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お医者様にかかるように、熱意のある先生に定期的に診て頂くことの大切さが身に沁みました。

        H.K様 60代女性

私は、自宅でピアノ教室を開いています。

美奈子先生の教室には、ご紹介で通うように成って、二年以上が経ちました。

当時の私は、音は弾けても音楽としてはどうなのか?が悩みでしたが、プロではないし、これが限界だと思っていました。

最初のレッスンで驚いた事は、「練習し過ぎる前にレッスンを受けに来て頂けますか?」と「こんなふうに弾きたいと思うだけでいいんです。」という先生が仰った2つの言葉でした。

考えてみれば自分も含めてピアノ教師をされている方の口から、こんな優しい言葉を聞いた事は無いように思います。

そして続けてレッスンをして頂く内に、先生の仰った事の本当の意味が少しずつ分かって来たように思います。

私なりの解釈では有りますが、自分の欠点に気付かずに曲を仕上げてしまう事の問題点と、全ての曲の、どんなに小さなフレーズにも意味が有るので、それを見つけて自分の言葉で語るように弾く、という事を仰ったのかしら?と今は理解しています。

美奈子先生は「見つけ上手」「例えが面白くて分かり易い」「熱い、つまりとても熱心に教えて下さる」、そんな風にご紹介したいと思います。

コロナの影響でレッスンに通えなかった間の私は、自分が迷子に成っているのは分かっても、お家に帰る方法が分からない子供と同じようでした。やはり定期的にレッスンをして頂く事の大切さが身に沁みて分かったように思います。

それを思うと定期的にお医者様に診て頂くのと同じなのかも知れませんね。


          H.K様 60代女性



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プロフィール

深瀬美奈子   Minako Fukase 

ピアニスト、室内楽ピアニスト、伴奏ピアニスト。

桐朋学園大学を卒業後、ジュリアード音楽院大学院に進学。
さらにワシントン大学博士課程で研鑽を積みながら、
指導助手・ピアノ副科講師として教育にも携わる。

NYスタインウェイ・ホールで開催されたニューヨーク・ショパン財団コンクール
で優勝。
カナダ・ビクトリア国際音楽祭の公式伴奏者として7年間活動し、多くの弦楽奏者と共演。アメリカ・カナダ各地で演奏を重ね、ワシントン州では数々のコンクールに入賞。シアトル・フィルハーモニーとラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》を共演。    
オーカスアイランド夏の音楽祭の室内楽では、シアトルPI紙に「洗練された感性を持つ演奏者。その音楽性とテクニックはバランスよく安定し、美しく体現化されている。彼女は並外れた透明感のある音を作り出す。」と絶賛される。

1993年、結婚・出産を機に演奏活動を一時休止。専業主婦としての日々の中で
「美しさとバランスの法則」を暮らしに取り入れ、創造的なライフスタイルを築く。

2015年、ピアノ指導を再開。
ジュリアードで師事したルドルフ・フィルクシュニー氏に学んだ「美しい音色」、
ワシントン大学の恩師ロビン・マッケイブ氏から受けた「明確で実践的なアプローチ」を軸に、温かくオープンなピアノ教室を主宰している。
現在は、演奏技術や音楽表現に悩むピアノ愛好者や指導者を対象に、「何歳になっても
ラクに弾ける自然なテクニック」を独自メソッドとして指導。
それぞれの「理想の音」の実現をサポートしている。

2019年、スタインウェイ・ジャパンでのデュオ・リサイタルを機に演奏活動を再開。
日本主要オーケストラの奏者との室内楽や歌曲の共演、
自宅サロンでのティータイム・セミナーコンサートなど、演奏活動も広く展開中。
これまでに中井富久子、富本陶、ロビン・マッケイブ、ルドルフ・フィルクシュニーの各氏に師事。イエルク・デームス、ベラ・シキ、ジョセフ・ブロッホ、ルース・ラレード各氏の指導も受ける。全日本ピアノコンクール審査員。 

演奏、教育、暮らしのすべてを通して磨いてきた「感性」と「本質の探究力」を、音楽に還元している。 「素敵に弾きたい」という想いに寄り添い、ひとりひとりに合ったアプローチで、美しい音楽づくりをお手伝いしている。




[ ストーリー ]

東京生まれ。三姉妹の長女。 小学生に上がる頃、祖父のアップライトピアノが家にやってきたその日、私は「ドミレドミレ」と音を探しながら弾いてみました。その瞬間を、今でも鮮明に覚えています。母の友人からレッスンを受け、しばらくは楽しく通っていました。

 【ピアノに対する苦悩の始まり:小学生〜中学生】

小学校3年生の時、突然、音大の教授に師事することになったのが、私の長い苦悩の始まりでした。
「譜読みができてない」「もっとよく聴いて」「お話になりません」ーそんなお叱りの連続で、音楽やピアノのこともまだ何も分からない私は質問すらできないまま、何をどう頑張ればいいのか分からず、ピアノがすっかり嫌いになってしまいました。
泣いて嫌がる私に、母は「あなたが練習しないからよ」と横に座ってなんとか練習させようとしましたが、私にとってピアノは「怖くて厳しく、否定されるもの」。自信を持てない存在になってしまいました。
中学では「どうしてもピアノをやめたい」と懇願し、バレーボールに打ち込む日々。クラシックは弾かなくなりましたが、ミュージカルや宝塚の歌を耳コピで弾いては歌い、音楽を自分なりに楽しんでいました。

【ピアノとの再会:高校3年生】

高校生のある日、妹と始めた歌のレッスンで音大受験を勧められた際、「ピアノ科に行ってほしい」という母の願いを受け、小6でやめた桐朋の先生にお願いしてレッスンを再開。 初めてのバッハ平均律やショパンを猛練習し、夏期講習を経て、桐朋学園ピアノ科に現役合格しました。

 【音大時代と料理とメイクと…】

入学後、知識もレパートリーも少なく引け目を感じながらも、ピアノよりもファッションやダンス、料理に夢中。メイクを学び、同級生のプロフィール写真用メイクを担当したり、ミュージカル出演者の付き人やヘアメイクを務めることも。
青山のサロンでのコンサートでは、レセプションの料理全てを担当し、後にそのサロンのシェフのアルバイトに。 一方で、音楽に真剣な同級生たちの姿に影響を受け、少しずつ音楽の楽しさを取り戻し、卒業へ。 

【初めての海外:ザルツブルクの夏】

卒業後、母の「留学なら海外旅行に行かせてあげる」という言葉をきっかけに、
ザルツブルクでイエルク・デームス氏の講習に参加。教会コンサートでリストを演奏し、本場の音楽と一流の演奏家たちの演奏に心を打たれました。

 【アメリカへピアノ留学/ジュリアード大学院】 

伴奏をしていたヴァイオリンの生徒のお母様から紹介され、中村菊子先生(バーナム教本の訳者)のお宅で2曲ほど弾いた時のことです。
「あなたはジュリアードに行くべき。まずはカナダの音楽祭でこの先生に会いなさい」と、ジュリアード出身のピアニスト、ロビン・マッケイブ氏をご紹介くださいました。
この出会いが、私のピアノ人生の第一回目の大きな転機となりました。 世界中からアーティストと学生が集まるカナダの国際音楽祭。その初日、演奏後すぐに「ブラボー!素晴らしい!」と声をかけていただいたことは、衝撃でした。そして、さらに良くなるための具体的で明快なアドバイス。何よりも、演奏家としてではなく、一人の人間として対等でオープンな関係を築いてくださる姿勢に心を打たれました。
「ここで1ヶ月半準備して、9月の入学試験を受けましょう」と声をかけていただき、
そのままニューヨークへ。ジュリアード音楽院を受験し、無事合格しました。
師事を希望していたアニア・ドルフマン氏が急逝されたため、彼女のアシスタントだったロビン・マッケイブ氏にそのまま師事することに。それは私にとって、まさに幸運な出来事でした。
譜読みも遅く、レパートリーも少なく、発表会などの演奏経験もほとんどない——そんな自分の経緯を一生懸命説明すると、彼女は優しく笑って「大丈夫」と受け入れてくださり、一から丁寧に教えてくださいました。レッスンはすべてが新しく、わかりやすく、取り組みやすい、実践的なアドバイスでした。私生活においても、ニューヨークでひとりぼっちの私を、まるで姉や母のように世話して下さいました。
初めての一人暮らし、しかも知り合いのいないマンハッタンのアパートで、すべて英語の授業とピアノに向き合う毎日。心が折れないように、寂しさに潰されないように、私はインテリア好きな自分を励みにして、部屋をピンク色で統一。カーテン、ピアノカバー、ベッドカバーはすべて手作りし、ラグもピンクに。アパートにこもっていても気分が上がるよう、工夫しました。
そして、お料理好きだったことも、ニューヨークの一人暮らしには大きな支えとなりました。

 翌1984年1月、先生の勧めで人生初のコンクールに出場。それが、NY57丁目スタインウェイホールで行われた「ニューヨーク・ショパン財団コンクール」でした。
ジュリアードの学生も多数受けていた中、なんと優勝。マンハッタンで行われた優勝者リサイタルではショパンを演奏し、ジュリアードの新聞にも掲載されました。
その年から毎年、カナダで開催される夏季国際音楽祭に、公式伴奏者として7年間参加。主にヴァイオリンのクラスで演奏し、週ごとの生徒演奏会にも出演しました。
音楽祭のオーケストラとの共演では、バッハのコンチェルト第1番や、サン=サーンス《動物の謝肉祭》を演奏。 ここで出会った多くの弦楽器奏者たちと共に、アメリカやカナダ各地のイベントや演奏会に出演する機会を得ました。 

【腕の故障、そしてフィルクシュニー氏との出会い】

けれども、人生で初めて、毎日数時間に及ぶ譜読みと練習を続けたことで、大学時代にも痛めた右腕の筋が再び炎症を起こし、約1年間ピアノを休まざるを得なくなってしまいました。カイロプラクティック、鍼灸などあらゆる治療を試みましたが、若い頃から鍛えてこなかったこともあり、もう無理はできないと実感。
そこから、私は「最小限の練習で、最短距離で弾けるようになるテクニック」への探究をさらに深めていくことになります。

ほどなくして、ロビン先生の恩師でもあった、チェコの国宝的存在、ルドルフ・フィルクシュニー氏のオーディションを受け、門下生となりました。
ヤナーチェク、シュナーベル、コルトーに学んだフィルクシュニーは、世界的ピアニストで演奏で忙しいため、生徒は常に年に1〜2人しか取りません。
日本人としての弟子は、畠山さち子さんと私が最初で最後の2人でした。
世界一美しい音を奏でるピアニスト、フィルクシュニー氏は、本当に紳士的で穏やかな方。私はレパートリーが少なく、レッスンまでにやっと1楽章だけ弾ける、という状況でしたが、そんな私のために「続きはこんなだよ」と、目の前で弾いてくださる。その生の音を間近で浴びられたことは、今思えば本当に贅沢な経験でした。
アメリカでの留学を通じて、音楽だけでなく、教えるということ、育てるということ、そして何より「人としてどうあるべきか」という姿勢を、素晴らしい師匠たちから学ぶことができました。

 【シアトルへ——さらに博士課程へ】

ジュリアード大学院修士課程を卒業後、ロビン・マッケイブ氏が故郷シアトルのワシントン大学(University of Washington)音楽学部ピアノ科の教授に就任されることになり、「アシスタントとして一緒に来ないか」と声をかけていただきました。
私は奨学生としてピアノ博士課程に在籍しながら、ピアノ副科講師および公式伴奏者として、大学で4年間働きました。
博士課程では、2回のリサイタル、2曲のピアノコンチェルトによるリサイタルを開催。複数のコンチェルトコンクールで優勝し、オーディションにも合格。 フェデラルウェイ・フィルハーモニー、シアトル・フィルハーモニー交響楽団とラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》を共演。 また、ワシントン大学音楽学部ウインドアンサンブルのピアニストとしても活動し、ソリストとしての初演曲演奏も行いました。
1989年、オーカスアイランド夏の音楽祭では、ヴァイオリニストのジェームズ・バズウェル氏らと室内楽を共演し、シアトルPI紙に「洗練された感性を持つ演奏者。その音楽性とテクニックはバランスよく安定し、美しく体現化されている。彼女は並外れた透明感のある音を作り出す。」と絶賛されました。

されました。 そのほかにも、オレゴン大学音楽学部でのソロ演奏、ピアニスト・ジェフリー・シーゲル氏の代稽古としてのコンチェルト演奏(ベートーヴェン第4番)でシアトルユースシンフォニーとの共演など、数々の貴重な演奏機会に恵まれました。 また、ジャパン–シアトル・スズキインスティテュート・サマーキャンプでは公式伴奏者を務め、講師陣とのコンサートにも出演。
当時シアトル在住だったチェリスト・酒井淳氏(当時13歳)とは、彼がフランスに留学するまで共演を続け、日本の毎日コンクール参加時には《アルペジョーネ・ソナタ》を共に演奏しました。

【結婚後は専業主婦の仕事に邁進】 

ジュリアード大学院修了後、ワシントン大学博士課程にて演奏活動と研究を続け、すべての単位を取得したところで、私は一つの決断をしました。
これまで全力で取り組んできたけれど、音楽の道に「喜び」よりも「怖さ」を感じてしまう自分がいる。
ピアニストにも大学教授にもならない、と心を決め、論文は書かず、1993年、結婚を機に東海岸へ戻り、専業主婦としての生活に専念することにしました。
実はそれは、私の夢でもありました。 母のような、幸せな家庭を築く主婦になること。家を整えること、暮らしを創ること。 その夢が叶った瞬間でもありました。 とはいえ、結婚と同時にグリーンカードの取得手続きのためアメリカから出られなくなり、車の運転もできないまま数年が経ちました。
私はスタインウェイのピアノも手放すことに決め、以降約20年間、私の暮らしからピアノが姿を消しました。 けれども、
娘が生まれてからは、 「私はこの子の母であるために今まで生きてきたんだ」と心から思えるほど、幸福な日々が訪れました。
Home Maker(ホームメーカー)という仕事は、自分次第で中身がまったく変わる、創造的でやりがいのある仕事。 食事、インテリア、暮らしの設計ーどれもが
「小さな宿の女将」のように、ホスピタリティと工夫が問われる分野だと思いました。 どうせやるなら、喜ばれたい。 衣・食・住を美しく整え、演出しながら日々を楽しむ「クリエイティブな主婦」として、暮らしのプロを目指しました。

 【自然発生的に始まったお料理教室】

 1998年、ママ友に頼まれてスタートしたのが、お菓子教室とお料理教室でした。 娘が日本人学校附属の幼稚園に通い始めた頃、日本ではまだキャラ弁が始まったばかり。
お弁当グッズが手に入らない中、毎日テーマに沿ったお弁当を作り、写真に収めて記録するのが日課になりました。 学園祭では衣装のデザインと縫製を毎年一手に引き受け、謝恩会ではお料理教室の成果を活かして、母たちと協力しながらビュッフェ形式の立食パーティーをプロデュース。 娘の誕生日会の企画・演出・料理・ケーキ作り、ひな祭りやプール開き、ハロウィン、クリスマス会など、季節ごとのお楽しみ会の開催。 ママ友のベビーシャワーの企画、自宅でのガレージセール……
生活そのものが“クリエイティブの現場”になっていました。
壁紙の張り替えやキッチン床の施工、カーテン・ベッドカバーの手作り、季節のデコレーションなど、インテリアやDIYも積極的に楽しみました。
1999年には、ニューヨーク地域の日本語情報誌『COLON』にて、暮らしの工夫やお菓子のレシピ、考え方などを10ページにわたって特集されました。

 【日本帰国と暮らしの再構築】 

2005年、夫の意向で突然日本へ帰国することになり、楽器不可の中古マンションに入居。 リフォームの際には、アメリカで培ったDIYと空間設計の経験を活かして、キッチン・洗面所の収納計画を自ら立案・設計し、発注・管理まで行いました。 余った建材を使って自ら追加施工をし、空間を整えました。
帰国後もお料理教室を再開。現在の一軒家に引っ越してからは、「家庭料理でお手軽エレガントにおもてなし」をコンセプトに、テーブルコーディネートも取り入れた少人数制クラスを不定期で開催しています。
また、塩レモンや塩糀など、身体にやさしい手作り調味料の活用法を伝えながら、 「美味しくて簡単で健康的、毎日食べても飽きない家庭料理」の魅力を発信し続けています。 ご依頼があればプライベート出張教室も開催し、友人宅でのケータリングも、予算に応じて柔軟に対応してきました。

 【住空間収納プランナーとしてのもう一つの道】 

2013年、実家を片づける必要に迫られて、整理収納アドバイザーと住空間収納プランナー(ベーシック)を取得。 その後、実践的な「収納アシスト」の仕事を2年間経験しました。
2015年にはエキスパート・マスターの資格を取得し、住宅の間取り・動線設計のプロとして関東の住宅展示場に赴き、 大手住宅メーカーの注文住宅の収納計画コンサルティングを担当。累計200軒の住まいに関わりました。
家づくりの段階から、持ち物・家族構成・将来の変化を見越した「暮らしやすい家」の提案ができる立場に。
講師セミナーも3回開催し、住まいと暮らしを総合的に見つめ直す視点を共有しました。 ピアニスト・主婦・収納プランナーとしての経験を融合させ、
「専業主婦20年で出会った『収納の仕事』」  「暮らしを語る『住空間収納プランナー』、家を創る『ホームメーカー』」  「プロになる独学の極意と“教えること”の本質」というテーマで、セミナーも開催。
(株)収納計画の認定講師として、ベーシックコースの講座を担当しました。

 【ピアノ復帰再び 〜還暦日本デビュー】 

2015年頃、アメリカで教えていた元生徒さんとその友人からピアノレッスンの依頼を受け、貸しスタジオでレッスンを再開しました。
ちょうどその頃、アメリカ在住の友人から「スタインウェイのリビルドピアノを預かってくれないか」と連絡があり、 20年ぶりに“家にピアノのある生活”が戻ってきました。 ブランクがあっても、練習していなくても、なぜ弾けるのか。 むしろ熟成されたような感覚すらあるその理由には、ある確信がありました。
料理教室に来ていた音大卒の方もレッスンに来られるようになり、 日本の音大を出ていても、本当に知りたかったことを教えてもらえず、変な癖に悩まされ、ピアノを心から楽しめていない方が多いことを知りました。
「練習が足りないんじゃない。 ただ“良い方法を知らなかった”だけなんですよ。」 そうお伝えすると、生徒さんの目が輝きます。 「目からウロコのレッスンで、初めて自分でもできた」 「練習するのが楽しくなった」 「ピアノをやってて良かった」——涙ながらに喜んでくださる姿に、私自身が励まされ、 教えることの本当の喜びを日々感じるようになりました。
2019年、スタインウェイ・ジャパンにて須藤昌子さんとのデュオコンサートで演奏活動を再開。
2021年には、ジュリアードで同門だったピアニスト・畠山さち子さんと、室内楽コンサート(全4回)を開催し、 NHK交響楽団・東京交響楽団・東京シティフィルの首席奏者たちと共演。
2023年からは、大倉山秋の芸術祭でソプラノ武藤弘子さんとの「午後のひとときクラシックコンサート」を開催。
スタインウェイ・ジャパン東京にて生徒のマスタークラス、年1回の発表会、クリスマス会や新年会などのクラスイベントも行っています。
2022年より全日本ピアノコンクール審査員。
2025年からはピアニスト・山本実樹子さんと、自宅サロンにて「ティータイム・セミナーコンサート」も開催しています。 

【今、そしてこれから】

現在は、海外で出会った恩師たちの教え、演奏現場で得た実践的なノウハウ、 そして長年かけて独自に探求してきた「本質的なピアノへのアプローチ」を、プライベートレッスンを通して伝えています。
ブランクがあっても。 年齢を重ねても。 無理せず、ラクに、自然に、音楽とつながっていける。 そんな「美しさとバランスの法則」を軸に、 生徒さん一人ひとりの「素敵に弾きたい」という願いを、丁寧に支える日々を送っています。

レッスンに 通っている生徒さんさんからは、「注意される」ではなく、全ての演奏に応用できる「優しいアドバイス」が効果抜群のレッスン。その場ですぐに変化が感じられるので、家に戻ってすぐに弾きたくなります。「『見つけ上手』で『例えが面白くて分かり易い』身体の使い方、指使い、フレーズの感じ方、曲の構成等々…毎回、目から鱗の落ちるレッスンで、自分の演奏がこんなにも向上するとは驚き」            「先生の出す美しい音の響きを近くで聴いたり、自然な音楽のための手や身体の動きを拝見するたびに感動します!」などのお声を頂いています。

想い


一生懸命練習したら上手に弾けるようになりますか?

「音符は弾けるようになるかもしれません。
でも、自分の身体や手の動きの特徴を知って、無駄なことを省いて、効果的にピアノという楽器を鳴らす弾き方ができれば、もっとラクに、もっと素敵な演奏ができるようになります。」と答えます。

私は小さい頃から、ピアノを楽しむどころかずっと怖くて逃げ回っていました。
レッスンで褒められた記憶はなく、自分の演奏の何が悪いのかも、自分はどんな風に弾いているのかも、どうしたら良くなるのかも全然分からず、長い間ピアノコンプレックスでした。

ところが海外に行ってから、びっくりの褒め育てと目から鱗の具体的な方法論、楽しく自由な本物の音楽の世界を知り、私のピアノに対する思いは劇的に変わりました。


結婚して子育て中はピアノを手離し、しばらく弾けない期間がありましたが、
ブランクがあっても上達し続ける自然な脱力、自然な音楽、効率的な練習法による
「何歳になってもラクに弾ける美音テクニック」のおかげで復帰した今も楽しく弾き続けています。


正解のない音楽は、色々な先生に学ぶ機会が多いほど、自分のやりたいことや、やるべきことが見えてくると思います。

今、素敵な演奏を目指して一生懸命頑張っている若い方や、ひと昔前の年代にありがちだった「間違ったピアノレッスンによる後遺症」でお悩みの方が、これ以上遠回りをせずにもっと自分の演奏を好きになるためのお手伝いができれば幸いです。

体験レッスン、お問い合わせは

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レッスンについて気軽にお問い合わせください